それは、私がまだ、バイクに乗り始めて、間もない頃の、ある夏の日の出来事でした。友人と、海沿いのカフェまで、プチツーリングに出かけ、到着した私は、ヘルメットを脱ぎ、それをメットインにしまおうとしました。しかし、メットインの中は、すでに出かける時の荷物で、いっぱいです。私は、一度、荷物を全て取り出し、パズルのように、ヘルメットが収まるスペースを作り出しました。そして、満足げに、荷物を再び詰め込み、最後に、バイクの鍵を、その荷物の上に、ポイッと投げ入れました。今、思えば、なぜ、あんな行動を取ったのか、全く理解できません。おそらく、バイクに乗る高揚感と、目的地に着いた解放感で、注意力が、完全に散漫になっていたのでしょう。そして、私は、何の疑いもなく、バタン、と、シートを閉じたのです。その、コンマ数秒後。私の脳裏を、悪魔のような閃きが、駆け抜けました。「あ…」。ポケットを探るまでもなく、確信がありました。鍵は、今、私が閉めた、その暗闇の中にいる。全身から、サッと血の気が引いていくのを感じました。友人は、まだ、そんなこととは露知らず、カフェのテラス席で、私に手を振っています。私は、顔面蒼白のまま、友人の元へ行き、事情を説明しました。友人は、大笑いした後、すぐにスマートフォンで、鍵屋を探してくれました。幸い、三十分ほどで来てくれる、業者が見つかりましたが、その待ち時間は、真夏の炎天下で、自分の愚かさを、ただただ呪い続ける、地獄のような時間でした。駆けつけてくれた鍵屋さんは、手慣れた様子で、特殊な工具を使い、わずか数分で、シートロックを開けてくれました。その費用、一万二千円。その日の、おしゃれなカフェのランチ代が、霞んで見えるほどの、痛い出費でした。あの日以来、私は、バイクの鍵を、キーチェーンで、必ずズボンに繋ぐようにしています。あの、真夏の日の、愚かで、そして高くついた失敗は、私に、バイク乗りとしての、最も基本的な、そして最も重要な、教訓を、与えてくれたのです。
私がメットインに鍵を閉じ込めた日